100円ヒーロー アリス あぁ、これは夢。 何度も何度も見た。 だけど変わらない。 「ごめん、大嫌い」 彼女は笑った。 ピピピッと目覚ましが朝を告げる。俺はゆっくりと目を開く。 「あぁ、またあの夢か……」 とても寝覚めのいいものではない。だけど何回も見ているうちに少しずつ慣れてくるものだ。最近はあの夢を見る頻度も減ってたんだけどな……。 俺は少し伸びをして、布団から出る。とても小さい六畳の和室。それが今の俺が住んでいる場所である。とりあえず目を覚ますために顔を洗いに行く。それから朝ご飯を食べるんだけど……。 「時間あるかな……?」 うーん、微妙だな。まぁパンでも持っていって会社で食べればいいやと思い、歯磨きする。どうして仕事ってこんなに面倒なんだろうかと考えているとスマホが振動していることに気付く。なんだろうと思い、携帯を開いた。 「たすけてヒーロー……か……」 そんなメールが送られていた。あ、俺ヒーローやってます。ただ、ヒーローだけじゃ生計が立てられないので平日はサラリーマンですけどね。そこまで考えて、ふと思った。 「メールが来るってことは、今日は平日じゃなくない?」 メールの受け付けは土日にしかしていないのである。つまりメールが来るってことは……今日は土曜日だった。日々の重労働に追われ、曜日感覚が狂ってしまったようだ。まぁ、それもそうだよな……。毎日同じような仕事をして帰ってきたら目覚ましをかけて眠る。こんな機械的な生活を送っていたら曜日感覚も狂うだろうさ。 まぁ、今はそんなことはどうでもいいんだ。このメールの依頼を受けるかどうかだ。俺がヒーローをやってるのは主にインターネットで広告している。だからよくイタズラでメールをしてくる奴らがいる。まぁ、ヒーローをやってるなんてやつをからかってみたいのは分かるが大変迷惑なので控えていただきたいところだ。 基本的に料金プランは依頼に応じて依頼者と相談して決める。とはいうものの大したお金になるかと言われるとそうでもない。その上、今まで来た依頼はそんなに多くはない。つまりは儲からないってことだ。昨今ではヒーローをやる人も増えてきているが、その認知度はまだまだ低いから仕方のないことではあるが……。 ヒーローとはいえ悪役と戦うというわけではなく基本的にはお悩み解決みたいな感じだ。例えば、おばあちゃんの買い物の荷物持ちをしたりとか、逃げた飼い猫をさがしたりと本当になんでもやる。活動範囲は自分の自宅周辺なのでやりやすくはある。 『たすけてヒーロー わたしはさか上がりができないからおしえてください お昼くらいにみどりがおか公園でまってます すずね』 うーん、小学生くらいかな? まぁ、今日は特にすることもないし引き受けようかな? もともと、ヒーローを始めたのだってお金なんかのためじゃないしな。 了解しましたという内容の返信をして、俺は畳の上にごろんと転がる。逆上がりか……。というか昼頃って曖昧だな……。どうしよう、12時ぐらいには行っとこうかな。そんなことを考えながらまどろみの中に落ちていった。 やばっ、寝坊した。とりあえず急がないと……。確か集合場所は緑ヶ丘公園だったよな? そこなら家から自転車で十分くらいだ。俺は家から出て、アパートの階段を下りて自転車に乗る。 自転車に乗って通いなれた道を通る。ここは俺らが大学に通っていた道。大学まで緩やかな道が続いている。鳴り響く蝉の声。歩きながら談笑する女子高生。車が通り過ぎていく音。 「うるせぇな」 ふと、そんな言葉が口から漏れる。なんでこんなに苛立っているんだろう。あぁ、こんなこと言ってる場合じゃないのに。緑ヶ丘公園はそんなに遠いわけではないのに、やたらと長く感じる。いつもはもっと早かったんだけどな。俺は音が聞こえないように自転車をただひたすらに漕ぎ続けた。 「やっと着いたか……」 時間にして十二分くらい。思ったよりかかってないな。しかしすでに12時は過ぎている。もし依頼者が待っていたら申し訳ない、急ごう。 俺は駐輪場に自転車を止めて、公園を見渡す。緑ヶ丘公園はまぁまぁ広い公園だ。今は夏休みだし子供も結構いる。 「おいおい、こんなに子供がいたんじゃ分からねぇじゃねぇか……」 そう思い、依頼者にメールをしてみるが返信はない。子供に携帯を持たすわけないし、おそらくパソコンからメールしたんだろう。そうなってくると依頼を引き受けた以上、こっちで依頼者を探さないとな……。 とりあえず、メールから分かることを考えていこう。名前から考えて女の子かな? あとは逆上がりを教えてくれって言ってるから鉄棒のあるところにいるんじゃないかな? 俺はそう思い鉄棒のあるところまで足を運んだ。 「うわー、人気ねぇな……」 鉄棒には人が一人しかいなかった。女の子が一生懸命に逆上がりをしようとしている。たぶん、あの子かな? そう思って声をかけようとして、冷静に考え直した。昼間に一人きりで遊具で遊んでいる女の子に声をかける。……これって結構、不審者みたいな行動じゃない? 俺は頼まれてやってるんだ。決して変な気持ちで声をかけるんじゃない。自分にそう言い聞かせながら女の子に近づいて行った。 「ねぇ、君がすずねちゃんかな?」 俺が後ろから声をかけると、女の子はびっくりして鉄棒から手を放して尻もちをついてしまう。あちゃー、悪いことしちゃったな……。女の子はズボンについている砂を掃って、こっちを向く。 「だ、だれ?」 少しおびえた表情。そりゃそうだよな、知らない人が声かけてきたらそうなるよな。俺は彼女の疑心を取り除くために自己紹介をした。 「俺はヒーローをやってるんだ。朝にメールくれたよね。ほらこれ」 そう言って彼女にスマホを見せる。彼女はおずおずと俺のスマホを覗き込む。そして一応の納得をしてくれたみたいだ。どうやら彼女はもっとヒーローっぽい格好で来るものと思っていたらしい。今、夏だからコスプレなんかしたら暑いよ……。 「で、君がすずねちゃんであってる?」 「うん。多田羅涼音、ニ年生」 そんなとこまでは聞いてないんだがと思いながら、俺は涼音ちゃんに微笑む。 「逆上がりがしたいんだって?」 「す、すずね、逆上がりが出来なくて……」 「そっか、じゃあお兄さんと一緒に頑張ろうね!」 「うん」 うん、小学校二年生にしては礼儀正しくて良く出来た子だ。ここまできちんとしている子はむしろ珍しいのではないのだろうか。 「とりあえず逆上がりをやってみてくれる?」 涼音ちゃんがぶんぶんと首を振る。 「あぁ、ごめん。言い方が悪かったね。今、出来る逆上がりを見せてくれる? 別に回れなくてもいいから」 涼音ちゃんは頷いて鉄棒を握った。そして地面を蹴り上げる。彼女は少ししか回ることなく地面に足を着いた。あぁ、これは典型的なやつだなぁー。 「あぁ、分かった。オッケーオッケー。とりあえず一回見ててね」 俺はそう言って鉄棒をつかんで逆上がりをして見せる。逆上がりを終えてみせると彼女の目がキラキラしているのが分かった。 「じょ、上手」 「あ、ありがとう」 彼女がすごく食いついたので少し引いてしまった。 「とりあえず、お兄さんが足を持つから一緒に回るところから始めようか」 「うん」 そういうと彼女は鉄棒の方へとサッと体を向けた。俺も鉄棒に向かい、彼女が地面を蹴った時に足をつかんで回らせてやる。 「そうそう、これが逆上がりのイメージね。さっきまでは回るときに体が鉄棒から離れてたの分かる? こんな感じでさっきは離れてたんだけど、逆上がりをするなら体は鉄棒にピタってつけといてね」 俺は説明とともに、鉄棒の前でどうなっているかを実践して見せた。涼音ちゃんはそれをうんうんと聞いていた。 「それじゃあ、やってみようか」 「うん」 「だんだん良くはなってるんだけどね……」 あれから涼音ちゃんと二時間くらい練習をした。色々と指導をした結果、かなり惜しいところまできている。でも、あと一歩が上手くいかない。 「逆上がりできないのかなぁ……」 「そんなことないよ、最初と比べるとずいぶん良くなったよ。あとちょっとだから頑張ろう」 「うん……」 元気がなくなっているのが目に見えて分かる。仕方ない、もう少し休憩しよう。 「ねぇ、どうして逆上がりができるようになりたいの?」 「えっとね、パパとママが喜んでくれるかなって」 「そうだね、パパとママはきっと喜んでくれるよ」 「パパとママはおうちにあんまりいないけど、すずね大好きだから……」 「そっか……」 各家庭にはいろいろ事情がある。涼音ちゃんの家はおそらく共働きなんだろう。 彼女の横顔にふとあいつが重なる。誰かのために何かをしようとしている。俺は……そんな優しさなら……。俺は胸の奥にグッと押し込んで話を続ける。 「でもパパもママもいなくて寂しくない?」 「寂しい。……でもパパもママもお疲れさんだから」 「えらいね……」 この年でそこまで考えられるのはすごい立派だと思う。 「じゃあ、あと少しだ。パパとママのために頑張ろうか」 「うん」 涼音ちゃんが俺を見て、大きく頷く。そして鉄棒に向かって駆け出した。 「うーん、どうしてだろう……」 結果からいうとあれから一向に上手くならない。このまま何回も繰り返しても同じことだろう。そう思い、涼音ちゃんに休憩を呼びかける。 「ねぇ、ちょっと休憩しようか」 涼音ちゃんは首を大きく横に振った。もう少しやりたいのか、ひたむきに逆上がりに挑戦する。まるで何かに取りつかれたかのように、ずっと挑戦し続けた。もう技術的に教えることはほとんどない。ただ、このままじゃ絶対に成功しない。分からないけどそんな確信が俺の胸の中にはあった。 「いたっ……」 「大丈夫?」 俺はすぐに駆け寄る。手が滑って足をすりむいたみたいだ。とりあえず、涼音ちゃんをベンチに座らせて鞄に入れてあった消毒液と絆創膏で応急処置をした。 「ねぇ、なんでそんなに急いでるの?」 俺は気になっていたことを彼女に尋ねた。彼女はうつむいたまま何もしゃべらない。別にここまで面倒をみてやる必要はないんだけどな。乗りかかった船だ、どうにかしてやろう。 「じゃあさ、ちょっとお話しようか」 「……?」 今までと少し違った物言いを気にしてか、こちらをのぞき込むようにしてみていた。 「何かを成功……上手にやるためには何が大事だと思う?」 「……分からない」 「よく知ることだよ」 「……?」 「自分がどうしてできないのかを知ることは大切だよ。ただただやってるだけじゃ終わらないよ?」 ちょっとキツイ言い方だったかもしれないけど、伝わったかな? 「うん、分かった」 彼女は自分がどうしてできなかったのか考え出した。たぶん、もう少しでできるんじゃないかな? そんなことを思う頃には16時を回っていた。 俺らはベンチに座っていた。あれから惜しいのは何回もあった。けど成功は一回もしなかった。そろそろ疲れてきてるし、終わろうかな……。 「ねぇ、もう終わろうか?」 「やだ」 困ったな……。俺がどうしようと考えていると涼音ちゃんから話をふってきた。 「お兄さんはどうしてヒーローになったの?」 「いろんな人を助けたいからかな」 実際には嘘だ。俺は人を助けなければならないんだ。それがあいつのためにできる唯一の償い。 自分でそんなことを思いながら、胸の奥に刺さるものを感じる。本当にそれは償いなのか? ただの自己満足ではないのか? 「……ふーん」 涼音ちゃんが俺を見つめる。まがいなりにも今日を一緒に過ごしたせいか、少し疑っているようだ。仕方ないか……。 「じゃあ、本当のことは逆上がりが出来たら教えてあげるよ」 涼音ちゃんはむぅと頬を膨らました。 「約束だからねー」 「はいはい、やくそくやくそく」 その後も涼音ちゃんは一生懸命にやったが成功することはなかった。 「もう日も暮れるしやめようか」 流石にこれ以上は危ないと本人も分かっているのか渋々ながら引いてくれた。その代わりと言っては何だが明日も手伝うことを約束させられた。 次の日、俺は昼からの約束だったので朝のうちは家でゆっくりした。そして待ち合わせの時間ごろに家を出た。すると、すでに涼音ちゃんは公園で練習をしていた。 「はやいね」 「あ、ヒーローのお兄さん。こんにちは」 身体を少しだけこちらに向けて挨拶をしてくる。俺はそれに手を挙げて応じる。 「見てて」 彼女はそう言うとすぐに鉄棒へと向き直る。地面を蹴る。足が宙へ舞う。足が地面と垂直になって綺麗に回った。 「え、出来るようになってるじゃん。すごい、やったね」 「うん、すごいでしょ」 涼音ちゃんが誇らしげにしている。俺はそんな彼女の頭を撫でてやる。 「どうしてできるようになってるの?」 「朝来て練習してたら、出来るようになった」 なんじゃそりゃ。ここまで一生懸命教えたのに初成功の瞬間を見れなかったのは悔しいなぁ。 「まぁ、とりあえずお疲れさん。あそこのベンチで休憩しようか?」 「うん」 俺は近くのコンビニでアイスを買って彼女にあげた。昔からよく売ってる100円の当たり付きのアイスである。 「いやー、来たらできるようになってるとは思いもしなかったよ」 「んー」 彼女はアイスを必死に食べてるのか、俺の話を聞いてないみたいだった。 「ねぇ、一つ聞きたいんだけど、なんで逆上がりがしたかったの?」 「んー、ぱひゃとまみゃによほこんじぇほひふへ」 「ごめん、分からない」 「パパとママに喜んで欲しかったから」 「そっか……」 理由は単純だった。実際はもっと入り組んだ話なのかもしれない。だけどそれが何よりの答えだと俺は思う。 彼女はアイスを食べ終わり、こちらに向き直る。 「お兄さん、どうしてヒーローになったの?」 えぇ、覚えてたか……。あんまり人に話したいことでもないんだけどな。どうしようかな、少し濁して話そうか。 「ねぇ、昔話をしよっか?」 「あー、話ごまかしたー」 俺は自分の口に人差し指を当てる。彼女もその動作を見て渋々ながら静かになった。 形は違うけどこれで約束は果たさせてもらおう。 「むかーしむかーし、あるところに男の子と女の子がいました。男の子は女の子のことが大好きでした。女の子もたぶん男の子のことが大好きでした。ある日、男の子は女の子に告白しました。女の子はそれを受け入れました。二人は幸せでした。女の子は病気にかかってしましました。男の子はそれを知りませんでした。女の子は男の子に嘘を吐きました。男の子はそれを信じてしまいました。女の子はそれ以来いなくなってしまいました。男の子は女の子を幸せには出来ませんでした。それ以来、男の子はヒーローになりました。誰もを幸せにできるヒーローを男の子は今も目指しています」 今でも脳裏に焼き付いている。忘れようとしたって忘れられない。幼稚園から大学までずっと一緒だったのに。これからもずっと一緒だと思っていたのに。 あいつの本心を見抜けないで、何が幸せだ。そのままを鵜呑みにして、考えようともしなかった。少しでも考えれば分かったはずなのに。俺は振られたショックで何も考えなかった。 俺はあいつから全てもらった。楽しいという気持ちも誰かを愛することも。 あいつは俺のために全てを捨てた。この先の俺があいつに縛られないように。 これが俺がヒーローになった所以。俺は許されてはいけない。あいつを守れなかった俺を決して許してはいけない。 「あはは、どうだった? あんまり面白くなかった?」 「……」 「ごめんね、面白くなかったよね」 「ねぇ……。ねぇ、どうして? どうして泣いてるの? 痛いの?」 「えっ……」 頬を触ってみる。気付けば俺は泣いていた。 「なんでだろうね?」 あれからの俺は誰かを幸せに出来たのだろうか? 周りを自分の贖罪につき合わせてるだけじゃないか? ヒーローをやればやるほどあいつのことを意識せざるを得なくなる。 「お兄さん……」 「なに……かな?」 たぶん笑えてなんかいないけど、精いっぱい微笑む。 「ありがとう」 「……えっ?」 「お兄さんのおかげで逆上がり出来るようになったよ。ありがとう」 「あぁ……、どういたしまして」 突然、お礼を言われたことに不意を突かれる。 「お兄さん……あのね……?」 「うん、どうしたの?」 「あのね……。ヒーローさん! その男の子は助けてあげないの?」 「えっ……?」 「男の子を……助けてあげて……?」 そんなこと考えたこともなかった。俺は救われたらいけないもんだと思っていた。あいつの言葉を信じ、あいつのことを裏切った俺には。 「救われていいのかな……?」 「いいんだよ」 涼音ちゃんが俺の頭を優しくなでる。俺は恥ずかしいながらもそれを受け入れた。 俺は許されていいのか……? ずっとそんなことばっかり考えていた。 普通の人は何か罪を犯したときに、まず自分を責めてしまう。確かに悪いのは自分かもしれない。そして誰かに許してもらおうとする。苦しいのは自分なのに。痛いのは自分なのに。何よりも自分自身を許してやらないといけないのに。 俺はこんな簡単なことを忘れてたんだなぁと思う。俺は涼音ちゃんを見る。涼音ちゃんも俺を見る。 「ありがとう。男の子は助けられたよ」 「……?」 涼音ちゃんはよく分からないのか、首を傾げていた。俺はそんな彼女を見て微笑む。 「あ、そうだ。これあげるよ」 俺はそういい、アイスの棒を彼女に押し付ける。 「わぁ、当たりだーー」 涼音ちゃんがぴょんぴょんと喜んでいる。俺はそう簡単には変われないかもしれない。今まで背負い込んでたものを全て解決するには時間がかかるだろう。でも今年の夏は何か変わりそうな気がする。 それからしばらく話して別れを告げた。 「俺はもう帰るよ」 「分かった。すずねもおうちに帰る」 俺は公園で涼音ちゃんと別れてから、駐輪場に行った。そして自転車にまたがった時、涼音ちゃんが後ろから大声で叫ぶ。 「あ、お兄さん。まだヒーローになった理由を聞いてないよ」 俺はそれに右手を上げて応じる。 「秘密だよ」 「何それーーー」 俺は彼女に手を振って自転車を漕ぎ始める。彼女も大きく手を振りそれに応じる。 またね、俺のヒーロー。
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