夕暮れのラムネ

森野 民


 ……暑い。セミの声も暑さを助長する。
 ここに来るのは何年ぶりだろう。進学を機に家を出て、最初の数年は帰省していたが最近は寄り付かなくなってしまった。
「いろいろ、変わっちゃったなぁ…」
 縁側に寝転がりアホみたいに青い空を見上げる。
 舞も奈緒も大学で資格を取ってバリバリ働いているし、文(アヤ)は昔からの夢だった芸術の世界で生きている。他の友人たちも、己の夢を追い続けている者、結婚して子供がいる者……。なんだかみんな、キラキラしていた。
「それに引き換え私は―」
 大学に進学するも体を壊し留年と休学をくり返していた。なんとか就職はしたものの、また身体を壊し今は休職中だ。
「あー、私だけ置いてけぼりだぁ」
 へへへ、とむなしく笑う。
「あれ? おい、長森? お前帰っとったんか」
 不意に声をかけられ、あわてて起き上がり声の主を探す。
「なる……」
 幼稚園からの幼なじみ(腐れ縁とも言う)、成沢だ。こいつとも大学がお互い遠方だったこともあり疎遠になっていた。何年ぶりだろう。
「あんたこそ、こっちに帰ってきとったんや。何年ぶりやろ?」
「さぁ……、成人式の時にちょこっと会ったっきりやから……8年ぶり?」
「うわ、もうそんなに前なん? ひえーっ、時が経つのは早いですなぁ……。こっちに帰ってきて就職したん?」
「あー、まあね。母さん、こっちにひとりだし」
「おばちゃんにもずっと会っとらんなぁ…元気しとんさる?」
「元気元気。仕事も趣味もバリバリやわ」
「さすがおばちゃんやなぁ。相変わらず若々しい」
 8年という月日はこうも人の距離を変えるのか。
 一緒にいた頃は近かったのに遠かった。胸の奥がぐず…と痛む。
「あ、そうだ。なる、暑いしなんか飲まん? ちょっと持って来るわ」
 じくじくした気持ちを振り払うように私は立ち上がった。
 冷蔵庫にはちょうど、ラムネが2本冷えていた。ラムネを持って戻ると成沢が縁側に腰かけていた。
「お、ラムネか。すまんな」
「よー冷えとってひやこいで」
 フタを押して栓をあける。しょわしょわしょわっと泡があふれる。
「おわっ、ひー、あぶねぇ…かかるとこやった」
 けらけら笑う成沢を見て少しだけ泣きそうになった。

 ラムネを飲みながら、大学時代のこと、家族のこと、友人たちの近況の話をした。私の近況は話せなかった。
 あぁ、こんな穏やかに話せるものなのか。もう何年も前に消し去ったはずのくすぶりがぐずりだしそうな感じがした。

「ちょっとおー! 貴哉ぁ! 遅いよう」
 耳慣れない成沢の下の名前を呼ぶ声。声の主は女だ。
 ぐずり。
「わりぃわりぃ。昔なじみに会ってさ、ちょっと話し込んでた」
 女に返事をし、バツの悪そうな顔で私に向き直る。
「……彼女さん?」
「ん、まぁそんなとこ。近いうちに結婚しようかって話も出てたり出てなかったり……」
「おいおい、めっちゃ大事じゃないかよ。なぜ言わん」
「いや…その…こっぱずかしくて……」
 へへ、とはにかむ。

「ねえー! 早く―!」
 また女の声がする。
「あっ、うん、今行く! じゃあな、長森、急にすまんかったな。また連絡するわ」
 そう言うが早いか縁側にラムネを置いて女の方に走っていく。

「んもう、私すっごい待ってたんだよー?」
 女は成沢の腕に絡みつき、寄りかかりながら歩いていく。

ふと隣を見る。さっきまで成沢がいたところには、飲みさしの気の抜けたぬるいラムネが所在なさげに立っていた。
 私はただ、遠ざかっていく影を見送ることしかできなかった。






さわらび112巻へ戻る
さわらびへ戻る
戻る