レッテルゾンビにさよなら 完全版

上田 椿

 君達はゾンビについてどれほどの知識をお持ちだろうか。ふむふむ、「うめき声を上げて近寄ってくる」「噛まれると感染する」「たまに走るやつもいる」「汚い」「臭い」……なるほど、なるほど。
 君達がゾンビについて何の知識も持ち合わせていないことはよく分かった。もう十分だ。
何、恥じることはない。僕だって昔はゾンビについて何も知らなかった。だが、あるゾンビとその主に出会ってから、僕のゾンビに対する考えは一変したんだ。
ゾンビなんて実在しないって? 君はその凝り固まった頭を一度柔軟剤で洗濯してきた方がいい。
あまり長い説明は好まないので簡潔に言おう。現代の
ゾンビは執事、あるいはメイドだ。
 鳩が機関銃を食らったような顔をしないでくれ。ゾンビとは元々そういうものなんだ。ハイチを中心に広まっている民間信仰であるブードゥー教が、ゾンビのルーツだと言われている。
 そこで語られているゾンビとは、司祭によって甦らされ、奴隷のように使役される死体だ。ただ単なる動く死体。さっき君達が挙げたような特徴は一切ない。防腐加工が施された身体は清潔だし、何の匂いもしない。代謝が無い分、むしろ君達よりもいい匂いがするんじゃないか?
 もっと言うと現代のゾンビは奴隷のような扱いを受けてはいない。何か人権問題とか色々あって、そんな感じになったらしい。とにかく、現代のゾンビは執事やメイドのように、主人の世話をする存在なんだ。
 
 では、なぜ単なる民間信仰の動く死体であったはずのゾンビが、いつの間にか、人に襲い掛かり、噛み付くことで仲間を増やし、人類を滅亡に追いやろうとする存在になったのか。
 それはある一本の映画が原因だった。
 そしてその映画の監督をしたのが、僕だ。
 これからする話は僕の出会ったあるゾンビと、その主の話だ。私がこの話をするのは一種の、罪滅ぼしのようなものだと思って欲しい。僕にはより多くの人々に彼らの話を伝える義務がある。

※

「私は毎朝ハンバーガーを食べる」
こう言うと大抵の人間から「なんて不健康な」とか「お前はどこまでアメリカ人なんだ?」といったあまり良くない反応を得られることをイーサンはこれまでの長い人生経験からよく知っていた。
 まったくのナンセンスだ。手作りのハンバーガーを頬張りながら考える。バンズからは淡水化物、牛肉でできたパティからは豊富なタンパク質、挟んであるトマト、玉ねぎ、レタスからはビタミンや食物繊維が一度に摂取できるのに。
 なぜこんなにも手軽でバランスの取れた食事を皆は不健康だと言うのだろうか。    
それはおそらく、ハンバーガーにそういうレッテルが貼られているからだろう。
 レッテル。それはイーサンがこの世で一番嫌いなものの一つだった。某大型チェーンのハンバーガーが体に悪いからといって、この世のすべてのハンバーガーが体に悪いわけではない。
 イーサンはハンバーガーに対して何か不思議な親近感のようなものを感じていた。レッテルを貼られたもの同士の連帯感とも言えるだろうか。
ゾンビというレッテル塗れの存在であるイーサンを理解してくれるのは、同じくレッテル塗れのハンバーガーくらいなのかもしれない。
 
ペンシルバニア州ホワイトオーク郊外の鬱蒼とした茂みの中に一件の屋敷がそびえ立っている。屋敷の外観は手入れされている様子が無く、濃緑の蔦が外壁の白を覆い尽くすほどに茂っている。
人の住んでいる気配のない屋敷だったが、近隣の住民の間では夜に明かりが点いていたとか、子供の泣き声が聞こえてきたとか、そういう噂が絶えず流れていた。中には屋敷のことを「幽霊屋敷」、「ゾンビ屋敷」と呼んで恐れる者もいた。

「幽霊屋敷」は紛れもない間違いだが「ゾンビ屋敷」はあながち間違いではない、と住人であるイーサンは思う。
朝食のハンバーガーを食べた後、燕尾服に着替え、ポマードで髪をオールバックに整える。姿見の前でひとしきり身だしなみを確認すると、さっそく仕事に取り掛かった。
螺旋階段を上がり、二階の子供部屋の前に立ってノックをする。いつも通り返事はない。構わず部屋に入り、だだっ広い部屋の奥にある天蓋付きのベッドへ向かう。
そこで寝息を立てている少年に呼び掛けた。
「朝です、ご主人様」
 返事は鼾で返ってきた。少年の寝相は悪く、チェック柄のパジャマの裾からアルビノのような白い腹が覗いている。パジャマを整えてやってから、再び「仕事」に取り掛かる。
「起きてください、クランシー。学校に遅刻しますよ」
 今度はクランシーの体を揺すってみる。天然パーマの黒髪がふわふわと揺れ、一トンはありそうな瞼がスローモーションで開いた。焦点の合っていなさそうなブラウンの瞳がぼんやりとこちらを捉える。                   
「もうちょっと寝かせろ、くそ執事」
「ダメです。これ以上ベッドの中に滞在すると確実にバスに乗り遅れます」
 クランシーはゆっくりと体を起こし、溜息を吐いた。
「学校いきたくない」
 クランシーが中学に入ってから虐められていることは教師から聞いていた。こんな古びた屋敷に住んでいるからなのか、クランシーの貧弱そうな見た目のせいなのか、原因は定かではない。
いじめのことは心配ではあるが、執事として干渉すべきことではないとイーサンは考えていた。執事の仕事はいじめを解決することではなく、主人を学校に行かせることだ。
「そういえば今日は『マッドマックス』のブルーレイの発売日でしたね」
 クランシーの目の色が変わった。『マッドマックス』はクランシーが劇場まで三回足を運んだ映画だ。
「あ。もちろん予約してるよな?」
「してません。学校に行くなら私が買っておきますよ」
 しぶしぶといった顔でクランシーは目を擦りながらベッドから這い出てきた。クランシーを動かすには映画で釣るのが一番だ。
「あと十分でバスが来ます。さあ、時間は待ってくれませんよ」

 クランシーに朝食のオートミール(さすがに主人に毎朝ハンバーガーを食べさせるわけにはいかない)を給仕し、急かして食べさせた後、玄関まで見送った。小学校まではイーサンが車で送り迎えをしていたのだが、クランシーが中学に入ってからは、恥ずかしいからといってバスで登校するようになった。
 クランシーの執事になってから十年ほど経つが、未だに彼のことを理解できている気がしない。物心がつくかつかないかの頃から身の回りの世話をし、育ててきたはずなのに。
 イーサンはあくまでもゾンビとして、執事としてしか彼に接することができなかった。やっていることは親と変わらないと思うのだが、血が繋がっていないという事実がお互いにとって大きな壁になっている気がした。
 
 次の仕事は屋敷の掃除だ。クランシーと二人で住むにはあまりにも広すぎる屋敷を隅々まで掃除しなければならない。毎日やっていることではあるのだが、なぜか今日は気分が乗らない。
 そこで先に郵便物を確認することにした。玄関から外に出て郵便受けに向かう。ぎらぎらとした日差しの照り付ける中、伸び放題の芝生を足でかき分けながら歩く。芝生を踏みしめる度にざくざくと音が鳴った。  
屋敷の外側の手入れをしたいのはやまやまなのだが、どうしても一人では手が足りない。しばらくはゾンビ屋敷のままでいてもらおう。
赤塗りの郵便受けを開けると、数通の郵便物があった。内容は中で確認することにして屋敷へと戻る。
郵便物は全部で四通。二通はダイレクトメール、もう一通は診療所からの定期健診の案内、最後の一通は白黒のチラシのような紙だった。
定期健診の案内は後で読むことにして机の上に放り出した。二通のダイレクトメールとチラシをよく見ずに捨てようとしたところで、手が止まる。チラシに印刷されている、ある人名が目に留まった。

ロバート・C・ロメロがこの街にやって来る!

あの伝説的映画『ゾンビ』の監督が、映画の舞台となったモンローヴィル・モールにやって来ます!
そこで「ゾンビパーティー」と称して、ゾンビに扮したお客様達にお集まり頂き、トークショーや記念撮影会などといったイベントを開催したいと思います。参加希望につきましては―

チラシを持つ手が震え出した。
これだ、このときを待っていた。
ロバート・C・ロメロ。この男に会うチャンスをどれほど待ち望んだか。
『ゾンビ』を撮影し、世界中の人々にゾンビに対する間違ったイメージを植え付けた男。それまでは日陰者だったゾンビに突然スポットライトを当て、べたべたとレッテルを貼りまくった男。
ロメロはゾンビの敵だ。ゾンビとして生きてきて奴を憎まない者はいないだろう。
生まれたときから本当の自分とは違うレッテルが全世界に広まっている。自分がゾンビであることなど到底言い出せない程、ゾンビに対する悪いイメージがいつの間にか全人類に共有されている。
ロメロは自分の撮った作品がゾンビたちを苦しめているという自覚を持っているのだろうか?
いや、絶対に持っていない。奴は知りもしないくせに勝手なイメージをゾンビに押し付けただけだ。そもそもゾンビが実在していることだって知らないだろう。
許せない。絶対に許せない。会って罵るだけではこの怒りは収まらない。
そうだ、レッテルは貼った奴が責任をもって剥がせばいい。ロメロに真のゾンビを映したドキュメンタリー映画を撮影させればいいのだ。
そして映画の中でこう謝罪させる。
「私の撮った『ゾンビ』は嘘八百のでたらめ映画でした。ゾンビの皆さまにご迷惑をお掛けして申し訳ございません」と。
 素晴らしいアイデアだ。これで全世界のゾンビがレッテルを貼られた苦しみから解放される。
 イベントの開催日は今から二週間後だ。クランシーが帰ったら早速相談しよう。彼もゾンビの主なのだ。きっと賛成してくれるに違いない。

「ばかじゃねーの?」
 話を聞いたクランシーはホームシアターのスクリーンから目を離さず、心底うんざりした顔で言った。
「『ゾンビ』が嘘八百って、そりゃ映画なんだから当たり前だろ」
 スクリーンではマスクを被った男が改造バイクに跨っている。イーサンはそれを横目で見ながら反論した。
「映画だろうと何だろうと私達が迷惑を被っているのは事実です。ゾンビであることを公言できない世の中なんておかしいと思いませんか」
「思わないね。お前ら普通の人間とほとんど変わらないんだから公言する必要ないじゃん。あと、おれは別に迷惑してないから」
 イーサンは呆れた。まさか自分の主人がここまで何も考えていないとは。やはりレッテルを貼られる苦しみは、貼られた者にしか理解できないのかもしれない。
「もういいです。こっちで勝手にやりますから」
「いや、おれも行くよ」
 なぜ? と目で問うと、クランシーが当然の如く答えた。
「ロメロはゾンビ映画の父だぞ。拝みに行かないわけにはいかないよ」
 イーサンにとって憎悪の対象であるロメロは、クランシーにとっては尊敬の対象であるらしい。彼にロメロを憎んで欲しいと思うわけではないが、自分の嫌いな人間が評価されているとなぜか無性に腹が立つ。
クランシーとこの件について話すことはやめようと思った。彼と意見が合致することはおそらくないだろうから。
クランシーに理解されなくてもイーサンは自分の意見を曲げようとは思わなかった。必ずロメロに謝罪させ、クリーンなゾンビのイメージを取り戻す。そう心に誓った。
そのためには協力者が要る。イーサンは机の上に置きっ放しの案内を思い出した。

ライト家の邸宅はイギリス風のパラディアンスタイルだ。玄関の両脇には神殿のような白い柱が存在感を示し、玄関の真上には「パラディアン窓」と呼ばれる、三つ並んだ窓の中央上部がアーチ型になった窓が来訪者を見下ろしている。
暑さから逃げるようにして獅子の形をしたドアノッカーを叩いた。何となく高級そうなこんこんという音が耳をくすぐる。
「は〜い」
 すぐにくぐもった女の声が聞こえてきた。小気味よい鍵の開く音とともに、ひょいと顔を出すのは、この屋敷の主だ。
「あらイーサン、久しぶりね」
 女はドアを開け放ち、満面の笑みで来客を迎えた。ほうれい線がチャーミングなブロンドの髪をした四十代くらいの女性だ。
「ご無沙汰しております。ミズ・ライト」
「もう、ケイトでいいっていつも言ってるじゃない」
 花が咲いたように笑うケイトに応接間に通された。革張りのソファに腰を下ろし沈み込むような感覚に身を任せると、自然とため息が出る。
「クランシーは元気?」
 アイスティーをお盆に載せて運んできたケイトが聞いた。慣れた手つきでコースターとグラスをイーサンの目の前に置く。
「どうも学校での友人関係が上手くいってないみたいで……」
「内弁慶みたいなところあるからねえ、あの子」
 たしかに、クランシーは家では(というかイーサンには)横柄な態度をとるが、外の人間と接するときにはかなり大人しくなる。
「難しい年頃だからねえ。ちゃんと見てやるんだよ?」
はあ、などど応えていると、応接間のドアがノックされた。
開いたドアから姿を見せたのは白衣を着た黒髪の女性だった。二十代くらいだろうと推測される外見で、顔には大きな縫い目が斜めに走っている。傷跡というのは往々にして美を損なうものだが、彼女の美は損なって余りあるものだった。似たような縫い目が顔にある日本の漫画のキャラクターがいたような気がするが、名前は思い出せない。
「準備できたわよ」
 白衣の女が感情の込もっていないハスキーな声で言った。
「やあ、ナンシー。久しぶりだね」
「来るのが遅い。なんでいちいち案内を送らないと来ないのよアンタ」
 ナンシーがドアの枠にもたれ、腕組みをしながら気怠そうに応える。
 彼女はゾンビの町医者のような存在だ。代々ライト家に仕えながら、この地域一帯のゾンビたちの身体のメンテナンスを行っている。
 もちろん、ナンシー自身もゾンビである。ゾンビであることを利用して美容整形を繰り返した彼女の顔や身体は傷だらけだが、それと引き換えにこの世のものとは思えない美貌を手に入れている。一度彼女の裸を見たことがあるが、美しいのか痛々しいのかよく分からない気持ちになったことを忘れられない。
「ナンシー、そんなに怒らなくてもいいじゃない。きっとイーサンも忙しかったのよ」
 ケイトが気を遣って割って入るが、ナンシーは攻撃の手を緩めなかった。
「ケイトはこの男に甘すぎる。普通健診は自分でアポ取って来るもんでしょう」
 少しカチンときた。
「いいや、ケイトは君に甘すぎるんだ。なぜゾンビの君が主に客を出迎えさせているんだ? 主の召使いとして働くのが君の役目だろう」
 ナンシーが溜息をついて薄く笑った。
「召使いか。古臭い考え方……。ねえ、ケイト?」
 ケイトは少し考えるようなそぶりを見せてから優しい声で話した。
「そうねえ、ナンシーは私が生まれたときからこの屋敷にいるから、なんだか友達とか家族みたいな感じがするの。そういう関係も私は悪くないと思うわよ」
 イーサンは正直納得がいかなかった。ゾンビというのは主から命を与えられた召使いであり、それ以上でもそれ以下でもない。ケイトとナンシーのような関係性は考えられなかった。
「ミズ・ライトがそう言うなら……。私には理解しかねますが」
「また。ケイトでいいって」
「ほんと丁寧ジジイよね、アンタって」
女性二人から非難の目を向けられては、イーサンに勝ち目は無かった。

部屋の奥にある診察室に入ると早速ベッドに寝かされた。天井の照明が眩しくて目を細める。
ナンシーが注射器を確認しながら言った。
「とりあえず今日はワタの詰め替えだけやっとくから」
 ワタというのはゾンビの体内に詰められている防腐剤のことだ。ゾンビにとって「診察」とは大体の場合において「ワタの詰め替え」を指す。
 今まで何度もこうやって診察室のベッドに横たわってきたが、いつもまな板の上の鯉のような気持ちになることは変わらなかった。
「優しく頼むよ」
「その顔を見てると麻酔なしで開頭してやろうかしらって気持ちになるわね」
 ゾンビにも痛覚はある。それを教えてくれたのはゾンビになりたてのイーサンを治療したナンシーだ。
「それは前にやられて普通に痛かったからやめてくれ。なんで君はそんなに私に強く当たるんだ。色々あったとはいえ、もう昔のことだろう」
 イーサンとナンシーは昔「色々」あった。その「色々」が過去のこととなった原因は、お互いがお互いのことを理解できなかったからだろうとイーサンは思う。イーサンはナンシーが自分の身体を切り刻んでまで美しさを求めることを理解できなかったし、彼女はイーサンがロメロに対して並々ならぬ憎しみを抱いていることを理解できなかった。
 ナンシーが何も言わずに能面のような顔で麻酔を打ち始めたので、イーサンは慌てた。それはあまりにもナンシーの顔が怖かったからでは決してなくて、今日ここに来た本当の目的は診察ではなく他にあったからだ。
「きょ、今日は君に話があって来たんだ」
「どうせアンタの話なんてろくなもんじゃないからさっさと寝ろ」
 ナンシーがぴしゃりと言った。麻酔が効いてきて全身が重くなる。彼女の眼が蛙を睨む蛇のそれに見えた。
「ロメロが―」
 上手く回らない舌で話す自分の声が遠くから聞こえ、イーサンの意識はそこで途絶えた。

「おはよう丁寧ジジイ。調子はどう?」
「ああ、最高だ」
 イーサンは麻酔の影響でぐらぐらする頭を押さえながら答えた。
「ナンシー、君に話がある」
「ロメロが来るんでしょ。知ってる」
 知っているなら話は早い。
「ああ、そうだ。そこで君に協力してほしいんだ。ロメロに復讐するために」
「アンタ、昔からあの人への執着がすごかったわね。良かったじゃない。ようやく想い人に会えて」
「想い人? 気持ち悪い言い方は止してくれ。私達にレッテルを貼った奴に執着することは何も間違ってないだろう」
「私達? あのねえ、アンタみたいな考え方をするゾンビの方が少数派だって私前から何度も言ってるよね? 馬の耳より性質が悪いなアンタの耳は」
 イーサンには理解できなかったが、ナンシーの言う通り、ゾンビの大半はロメロに対する恨みなど持っていなかった。傍から見ればゾンビは普通の人間と変わらない。そのため世間でどれだけゾンビのイメージが悪かろうがゾンビ本人が気にしなければ直接被害が及ぶことはない。   
しかしそれでもイーサンはロメロを許すことができなかった。ゾンビならば彼に恨みをもって当然だと思ったし、とにかく自分に勝手なレッテルを押し付けたロメロに復讐したかった。
 そしてそのためには協力者が要る。イーサンの知る限りで協力してくれそうな者は、目の前にいる怖い顔をした女医ゾンビしかいなかった。これまでの会話から望みが薄かったとしても、頼み込むしかない。
「これは千載一遇のチャンスなんだ。お願いだ、君にしか頼めないんだ」
「君にしか頼めない? はっ、笑わせてくれるわね」
 ナンシーは嘲笑を浮かべた。
「他のゾンビには頼めないから元カノの私に頼むってほんとに阿保ね、あなた。友達いないの? いないか」
 イーサンが何も言えないでいると、ナンシーは急に真面目な顔になって声のトーンを落とした。
「クランシーのパパはそんなことをさせるためにあなたを蘇生させたわけじゃない」
 イーサンをゾンビとしてこの世に甦らせたのはクランシーの父だ。だが、彼はもうこの世にいない。クランシーの母親も彼を産んだ後すぐに死んだ。残された父親は妻の後を追って自殺した。息子の世話をするためのゾンビ、イーサンを残して。
 イーサンがゾンビとしてこの診療所で目覚めたとき、クランシーの父はもういなかった。そしてナンシーとケイトにゾンビの何たるかを教わり、自分の使命がクランシーに仕えることであることを知った。
たしかに、ロメロに復讐することはクランシーの父の望みではないのかもしれない。だがそれとこれとは話が別だ。
「たとえ私の使命ではないとしても、私は奴に復讐する。いい加減なレッテルを貼られて黙っていられる君たちがおかしいんだ」
「ならお互い理解できない者同士、これ以上話すことはないわね。さようなら」
 ナンシーはそう言って、スモウレスラーの如き突っ張りで診察室からイーサンを追い出した。その後閉じられたドアに何度か呼びかけたが、返事はなかった。
 
「あの男なんにも変わってないわ。ホントに理解できない」
イーサンが帰った後ナンシーとケイトはいつものようにお茶を飲みながらおしゃべりしていた。
「無理に理解しようとしなくたっていいじゃない。理解できないって言うってことは理解しようとしてるってことよ」
「理解しようとしてるっていうか……。危なっかしくて見てらんないのよね、あいつ」
 ナンシーはアイスティーを少し見つめてから飲み干した。


イーサンがゾンビ屋敷に戻ると、薄暗いリビングでクランシーが映画を観ながら泣いていた。正確にいえば慌てて涙を拭うクランシーの姿が見えた。
イーサンは、何事もなかったかのようにソファで映画を観ているクランシーに、どう声を掛けたものかと思案し、とりあえず飲み物を用意して様子を探ってみることにした。
クランシーの好きなアイスココアをコースターに載せてテーブルに置く。ココアの柔らかい茶色に染まった氷が、かちゃりと音を立てた。
やはりイーサンの目は赤く腫れていて、さっき拭い損ねた涙が瞳の中で潤んでいる。
「何かあったのですか?」
 クランシーが鼻をすすりながら顎でテレビの画面を指した。
「映画で感動したんだよ」
 イーサンが見てみると画面の中では、革の仮面を被った大男がチェーンソーを振り回しながら、泣き叫ぶ女性を追いかけ回していた。おそらく、クランシーの好きなホラー映画『悪魔のいけにえ』のワンシーンだろう。このシーンになると、クランシーはいつも殺人鬼の真似をしてどたどたと部屋の中を走り回る。
 『悪魔のいけにえ』を観て感動で泣く人間はいないとイーサンは思う。つまりクランシーが泣いている理由は他にあるということだ。
 よく見てみるとクランシーの目のあたりに大きな青い痣があることにイーサンは気が付いた。
「どうされたんですか? そのケガは」
 クランシーはなかなか答えなかった。代わりになにかを吐き出したそうに口をもごもごさせている。
 三分ほど逡巡した後でクランシーはようやく言葉を発した。
「なんでもねえよ。ほっとけ」
 絞り出すようにして言ったクランシーは急に立ち上がり、画面の中の殺人鬼を置いて二階の自室へ戻ってしまった。
 
こういうときにどうすればいいのか、イーサンには分からなかった。後を追って詳しく話を聞き出した方がいいのか、それとも本人の言う通りにそっとしておいた方がいいのか。
 クランシーは執事だ。だから主人の命令に従っておけばいい。そう思うことにした。
 そんなことよりも、今はロメロへの復讐について考えなければならない。マホガニー製のキャビネットの引き出しを開け、その中のコルトパイソンを確認する。暗がりの中で黒い銃身が鈍い光を放っていた。
 協力者がいないなら一人でもやるしかない。復讐のためなら手段を択ばない、そう心に決めていた。


パーティー当日、モンローヴィル・モールはゾンビで溢れ返っていた。と言っても本物のゾンビはイーサンだけで、あとはイベントのために特殊メイクを施した人間だ。ロメロの貼ったレッテルそのままのゾンビが、モールの中でうじゃうじゃ蠢いているのを見ると反吐が出そうになるが、自分にも同じような特殊メイクが施されていることを思い出して胃液まで出そうになった。
そんなイーサンとは対照的に、傍らにいるクランシーは「まじで映画の中に入ったみたいだ!」と言って無邪気にはしゃいでいた。ありがたいことに、両手を前に突き出して「うーうー」と呻きながら歩くというゾンビのモノマネまで披露してくれた。
クランシーの目の痣はほとんど治っていたし、残った痕もゾンビメイクで完全に隠れていた。彼はあの日以来一度も泣いていなかったため、イーサンは少しほっとしていた。
決して広いとは言えないモールの広場にステージが設置されており、その周りを大量のゾンビたちが取り囲んでいる。参加者たちはこの異様な空気を各々楽しんでいるようだ。そこら中で記念撮影が行われている。

そろそろ時間だ。照明が落ち、司会進行らしき男がスポットライトで照らされたステージ上に立った。
「ようこそゾンビパーティーへ! さっそく今日のメインゲストに来ていただきましょう」
 ゾンビたちがざわめいた。いよいよだ。やっとあの男に会える。
 ドラムロールが鳴り始め、スポットライトが消える。ざわめきは萎むように小さくなり、人々が固唾を飲む音が聞こえてきそうだ。
 ドラムの音が止み、会場は静寂に包まれた。
 一条のスポットライトが再びステージを照らすと光の中から男が一人、現れた。
「ようこそ、私のかわいいゾンビたち」
 万雷の拍手と歓声がステージを包んだ。大きな黒縁眼鏡を掛け、白い口髭をたくわえた男―ロバート・C・ロメロは微笑みでそれに応える。その顔を見た瞬間、イーサンの頭からは理性が吹き飛んだ。

 気づくとイーサンはステージに上がっていた。制止しようとするクランシーの声がどこか遠くで聞こえたような気がする。熱狂した観客たちはまだイーサンに気が付かない。
 ロメロの目がイーサンを捉えた。その目には驚きと戸惑いの色が浮かんでいた。
 イーサンはまっすぐロメロの目を見据え、声を絞り出した。
「私が、私こそがゾンビだ」

 ロメロは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに頬を緩めて余裕を見せた。
「ああ、君はどこからどう見てもゾンビだよ。なあ、みんなもそう思うだろう?」
 ロメロがイーサンの姿を指して観客に目を向けると、ゾンビたちは指揮者に従う楽団のように皆一様に笑った。
「素晴らしいコスプレだ。だがゾンビは君一人じゃない。さあ、仲間のところへ戻って」
 諭すような優しい声がイーサンの神経を逆撫でした。
「コスプレじゃない! 私は本当のゾンビだ!」
 ロメロはもうこちらを見ていなかった。なら振り向かせるだけだ。ベルトに挟んだコルトパイソンに手をかける。
右腕を万力のような強い力で掴まれるのを感じ振りむくと、身長二メートルはありそうな警備員の制服を着た屈強な男が無表情で立っていた。冷たい目をした男が口だけを動かして呟くように言った。
「頼むから目立つマネをするな」
 男からは独特の防腐剤の匂いがした。

 クランシーは警備員に連れていかれるイーサンをただ傍観していた。さっき声を上げてしまったから、周りに知り合いだとバレただろうか。あんな頭のおかしいやつと一緒にされては堪らない。ここから離れよう。
 ゾンビの群れから脱出し、ここからでもロメロは見えるだろうかと背伸びしていると、後ろから自分の名前を呼ぶ声がした。
「あれ、もしかしてクランシー? お前も来てたんだ」
 聞き覚えのある声に身震いしながら振り向くと、三人のゾンビがこちらを見ながらニヤついていた。スティーブとその愉快な仲間たちだ。クランシーはいつも学校で彼らにいじめられていた。今はゾンビメイクで隠れている目の痣も、彼らにつけられたものだった。
「ちょっと今カネなくてさ。百ドルくらい貸してくんない? 頼むよ、優しい坊ちゃん」
 スティーブが馴れ馴れしく肩を組んで低い声で囁いてきた。優しい、か。イーサンが聞いたらなんと言うだろう。
 クランシーは一度、スティーブになぜ自分をいじめるのか聞いたことがあった。そのとき彼は「お前が変なやつだからだよ」と答えた。
 古びた屋敷で執事と二人暮らしというのは確かに少し変わっているかもしれない。でもそれを理由にいじめられるのは納得がいかなかった。クランシーはスティーブ達と仲良くしたいと思っているのに、どうして彼らはそれを分かってくれないんだろう。
 クランシーはなぜか急に胸が苦しくなって、スティーブの腕を振り払い逃げ出した。
「おい、待てよ」
 こんなことをすれば後から酷い仕打ちが待っていると分かっていながら、呼び止める声を無視して走り続けた。もうゾンビパーティはどうでもよかった。早くイーサンと一緒に家に帰りたかった。一体どこにいるのだろう。

 
イーサンが連れていかれたのは地下の物置のような部屋だった。埃をかぶった段ボールの山がイーサンと警備員を出迎える。裸の電球がぼんやりと狭い閉塞感のある部屋を照らしていた。
イーサンはようやく緩められた腕を振り解き、警備員に向き直った。
「ゾンビが奴の警備をしてるなんてな」
「君みたいに騒ぎを起こすゾンビがいると思ってな。警備員のアルバイトをして正解だった」
「お前たちは何も思わないのか? 私達にレッテルを貼りつけた奴を目の前にして、何とも思わないのか?」
 警備員はうんざりした顔で答えた。
「頼むからおとなしくしててくれ。ほとんどのゾンビはお前みたいな復讐心を抱いてるわけじゃない。みんな現状に満足してる。みんな静かに暮らせればそれでいいと思ってるんだ」
 腰にぶら下げた鍵の束を取り出した男が部屋の入口をふさぐように立った。
「イベントが終わったら迎えに来る。それまでここで大人しくしとくんだな」
「おい待て―」
 制止する間もなく男はドアを閉め鍵を掛けた。伸ばした手が虚しく空を掴んだ。

 一人残されたイーサンは埃まみれの段ボールに腰かけ、天井を見つめた。
誰からも理解されないことには慣れていたつもりだったが、こうして狭い部屋に一人でいると、見ないふりをしていた孤独を眼前に突き付けられたようで気分が沈んだ。
 普段はクランシーと暮らしているから孤独ではないような気がしていたが、本当は精神的にずっとひとりだったのではないか。自分の味方など一人もいないのではないか。そんな疑問が心を蝕んだ。
 滲み出る陰鬱な心を叱咤するようにして握り締めた拳銃のグリップはざらついていて、どこまでも冷たかった。

 どれほどの時が経っただろうか。ドアの鍵を開ける音がして、勢いよく開かれたドアから例の警備員が現れた。その表情はどこか満足気だ。
「イベントは終わった。もうロメロはここを出てる頃だろう」
 千載一遇のチャンスが去った。クランシーの面倒を見ながらロメロと相対する機会はもうやって来ないだろう。目の前にいる警備員の顔面を殴りたくなったが、そんな気力もなかった。男が諭すような顔をする。
「これに懲りたら復讐なんて馬鹿なことやめて―」
ジジジ、という音がしたかと思うと、警備員がぐにゃりとその場に崩れ落ちた。
「ほんと便利ね、これって」
 倒れた警備員の後ろに立っていたのは、スタンガンを掲げたナンシーだった。
 イーサンが驚きで口をあんぐりさせていると、「ちょと待ってて」と彼女が白衣を翻して部屋から出る。
 少しして、ナンシーが男の後ろ襟を掴んで、スーツケースでも引き摺るみたいにして部屋に入って来た。そのまま倒れた警備員の横に引き摺って来た男を転がす。
 ロメロだった。警備員と同じように気を失っている。
「なんでこいつがここに……」
「男ってこんなに年寄りでも美人には目が無いのね。ちょっと声を掛けたらほいほいついてきたわよ」
 悪戯っぽく微笑むナンシーにぞっとしつつも、なぜナンシーが自分の手助けをしているのかイーサンは腑に落ちなかった。
「言っておくけど、アンタのためじゃないから」
 そんなイーサンの心を見透かすように彼女は言った。
「ただ……自分に理解できることがすべてじゃないって、そう思っただけ」
 何を言っているのかよく分からない、というイーサンの表情を読んだのか、「アンタには分からないでしょうね」と言ってナンシーは警備員を引き摺って部屋から出てしまった。 
 ナンシーの意図は分からなかったが、この状況をつくり出してくれたことには感謝をしてもしきれなかった。どういう心境の変化があったのか聞きたかったが、今はそれよりも重要なことがある。
 太い黒縁眼鏡の老人がごにょごにょと目を覚ました。目の前に復讐の鬼がいるとも知らずに。

「さっきの女医さんはどこだ?」
 立ち上がったロメロの第一声がそれだった。どこまでも暢気なやつだ。
「ああ君は、さっきのゾンビ君じゃないか」
 まるで旧い友人に街でばったり出くわした様な口調でロメロが言う。
「お久しぶりですね」
 自分の声のトーンが予想よりも低くて驚いた。皮肉を込めて言ったつもりだがロメロにそれが伝わっているのかはわからない。
「今日はあなたに話があって来た」
「君がゾンビだという話か? それはもう聞いたよ。君は紛れもなくゾンビだ。自信を持っていい」
 にこにこと笑いながら軽快な口調で話すロメロの顔を見ていると、腸が煮えくり返りそうになる。
「あんたの創り出した虚構のゾンビじゃない。本当のゾンビだ」
「何を言ってる? この世にゾンビなんているわけが……」
「クリエイターのくせに頭が固いな。脳みそを柔軟剤で洗濯でもしてきたらどうだ?」
「いい加減にしろ。僕はさっきの女医と飲みに行く約束をしてるんだ」
 出ていこうとするロメロの鼻先に拳銃を突き付けた。親指で撃鉄を起こす。さっきまでにこやかだったロメロの顔が一瞬で凍りついた。
「おい、何のまねだ!」
 言って分からないなら、実際に見てもらうしかない、自分がゾンビであるということを。
「そういえばあんたの考えたゾンビは頭を撃てば死ぬんだったか?」
 イーサンは銃口を自分のこめかみに当て、そしてそのままためらいなく引き鉄を引いた。
 耳をつんざく銃声が響く。
頭から白い防腐剤が飛び散り、脳みそを握り潰されたような強烈な痛みが走る。声にならない叫びが漏れる。死ぬほど痛いとはこういうことか。
だがイーサンは死ななかった。
「ブードゥーの秘術を嘗めるな」
 ロメロがわなわなと震える口を開いた。
「あ、あばば」
 うわ言のように呟いて、ロメロは白目を剥いて豪快に仰向けに倒れた。埃まみれのリノリウムの床とロメロの後頭部が熱烈なキスをする。可哀想に。彼が気を失うのは、今日これで二度目だろう。

 十分ほどして目を覚ましたロメロは意外と落ち着いていた。落ち着いているというより、少し疲れたのかもしれない。部屋の奥にある段ボールに腰かけて、本当のゾンビについて色々とイーサンに質問をしてきた。
 そこでイーサンは話した。ゾンビが大きなレッテルを貼られていること、そのせいでゾンビたちは自分がゾンビであることを隠しながら暮らしているということ、そして、単純にレッテルを貼られたことが許せないということ。
 ロメロは床に散らばった防腐剤を眺めながら、時折頷いたりして話を聞いていた。さっきまでの小馬鹿にしたような態度が鳴りを潜めたため、イーサンはこれがチャンスだと思った。紆余曲折あったが、ようやくこれで本題に入れる。
「あなたにゾンビを否定してもらいたい。ゾンビ映画の父であるあなたが、あなた自身で貼ったレッテルを剥がすんだ」
 ロメロが顔を上げた。眼鏡のレンズ越しに見える薄いブラウンの瞳が柔らかくイーサンを見つめた。
「僕の作品のせいで苦しむ者がいたなんて。本当にすまなかった」
「ではすぐに『ゾンビ』を否定する映画を―」
「それは断る」
 あまりの即答に言葉が詰まる。
「何だと?」
「断る、と言ったんだ」
 ロメロは立ち上がって、イーサンの目の前に立った。息が顔にかかりそうなほど近い。
「断る理由は二つある」
 ロメロがステージ上でおどけていた老人と同一人物とは思えないほど真面目な顔でピースサインをつくる。
「一つ目」
 ロメロはイーサンから視線を外し、ゆっくりと部屋を歩きながら語り始めた。
「あの映画は僕の息子のようなものだ。たくさんの仲間たちと共に苦心して、腹を痛めて産んだ息子だ。幼いころから多くの作品を撮ってきたが、あんなに皆から愛された息子は最初で最後だった。『ゾンビ』は僕の誇りだ。生きた証だ。それを無かったことになんて、できない」
 イーサンが反論しかけたが、ロメロが人差し指を立ててそれを止めた。
「二つ目の理由は、私はレッテルを必ずしも悪だとは思っていない」
「あなたは一体なにを言っているんだ」
 イーサンの言葉に怯むことなく、ロメロは語り続けた。
「君はなぜレッテルがこの世に生まれると思う? レッテルを貼りたいと思って思考や行動をする人間などいないはずだ。だがレッテルというものはたしかに存在する。レッテルを貼ってしまう人間はたしかにいる。その原因はなんだ?」
 イーサンには答えられなかったし、ロメロは最初から答えを期待していないようだった。
「それは人が人を理解しようとするからだよ、ゾンビ君。友人を理解したい、恋人を理解したい、家族を理解したい、それは誰しもが持っている感情だ。だが、残念ながら人というのはそんな簡単に理解できるほど単純なものじゃない」
 ロメロは残念そうに溜息を吐いて肩をすくめた。
「人が人のことを間違って解釈、理解することなど当然のようにある。当然のことであるはずなのに、人はそれをレッテルと呼び忌み嫌う」
 ロメロが再びイーサンの前に立った。
「つまり、人が人を理解したいと願う以上、レッテルを貼らずに生きていくのは不可能だ」
「では、あなたが私にレッテルを貼ったのも、それはしょうがないことだと……?」
 イーサンの怒りは限界を超えて冷たくなっていた。この男の言葉はすべてレッテルを貼られたことのない立場から発せられるものだ。怒ることすらもったいないと思えるほどにロメロはクズだと思った。
 再び拳銃を取り出し、銃口をロメロに向けることに抵抗はなかった。むしろそうすることが自然なことのように思えた。
 銃口をロメロの額に押し付け、ゆっくりと撃鉄を起こす。かちり、という音だけが部屋に響いた。
 黒縁眼鏡の奥から覗くロメロの眼は拳銃ではなく、ただイーサンを静かに見据えていた。
「それで君の気が済むなら撃てばいい。だが、本当の自分たちを知って欲しいなら、私じゃなく誤解をしている大衆たちに訴えるべきじゃないのか? 自分を知ってもらおうしない者に、他者から理解される資格はないぞ」
 イーサンの頭からは理屈がすべて消え去って、ロメロのすべてが気に障って、ただこの男が消えて無くなればいいと思った。
「お前に、私の何が分かる!」
 怒りに身を任せ、満身の力を込めて引き鉄を引いた。乾いた銃声が部屋に響き渡った。

「……なぜ止めるのですか」
 ロメロに向けていた銃を握っていた右腕は、白い小さな手で横にずらされていた。
 小さな手の主がゆっくりと言った。
「おれがお前の主人だからだよ」
 イーサンはクランシーの手を乱暴に振りほどいた。いつの間にか息が上がっていて、銃を持つ手が震えていた。
「あなたは分かっていない。私にとってこの男がどれほど憎いか。私のことを分かってくれる人なんてどこにもいないんだ」
 クランシーがイーサンの横っ面を思い切り叩いた。痛くはなかった。痛くはなかったが、目の覚めるような感覚がした。
「ああ、わかんねえよ。お前のことなんて」
 クランシーはぶっきらぼうに言った。
「でもな、お前が映画に出てるようなゾンビじゃないのは俺が一番よく知ってる。世界中の人間がお前のことを誤解しても、俺は本当のお前を知ってる。……それじゃダメか?」
ダメに決まっている。ダメに決まっているのに、開いた口から声がでない。まっすぐなクランシーの瞳に言葉を失った。
「おれだって学校じゃいじめられてるけど、家に帰ればお前がいる。家に帰れば、なんていうか、本当のおれに戻れるんだ。だから、うまく言えないけど、すごく落ち着く。おれはそれで良いと思ってる」
 この時、十年以上共に暮らしてきて初めてイーサンは、主人としてではなく、対等なひとりの人間として、クランシーを見ることができた。その姿は思っていたよりずっと逞しくて、まっすぐだった。不器用に言葉を紡ぐ彼の姿は、自分なんかよりよほど大人だった。
 ふとケイトとナンシーのことを思い出した。ケイトはナンシーのことを「友達とか家族」のようなものだと言っていたような気がする。
 そういう関係をクランシーと築けるのだろうか。
 もしそうなれるのなら、他のゾンビたちがロメロを恨まない理由が少し分かる気がした。

「気絶してるよ、このじいさん」
 クランシーがいつの間にか倒れ込んでいたロメロをつつきながら言った。どうやらさっきの銃声でまた失神していたようだ。
「一日に三回も気絶することなんて、そうそうないでしょうね……」
 ロメロへの怒りはもう消えていた。そんなことよりもクランシーの学校での話をもっと聞いてやりたかった。
「帰りましょうか」
 頷いたクランシーとともに、イーサンは埃っぽい部屋を後にした。

※

 ふう、話し疲れた〜。途中眠そうだったけど、よく最後まで聞いてくれたね。
 その後彼らがどうなったかって? イーサンは僕への復讐をやめてクランシーと静かに暮らすことにしたみたいだ。そしてなんと、僕たちは友達になった。話してみると意外と気が合うんだよ。イーサンのハンバーガーは絶品だし、クランシーの映画の趣味なんて最高さ。あの女医さんとも仲良くしたかったけど、どうやら彼女はイーサンと馬が合わないらしい。残念だけど、そういうこともあるよね。
彼らに出会って僕のゾンビに対するイメージは百八十度変わった。でも変わったのはそれだけじゃない。僕のレッテルに関する考え方も少し変わったんだ

何かを理解するっていうのはとても難しい。それが人格なんていう複雑極まりないものであればなおさらだ。
 じゃあ僕たちはどうすれば人を理解できるんだろう。
 それは、理解したと満足することなく、理解できないからといって投げだすことなく、常に相手を知ろうとすること。理解しようとし続けることこそが、本当の理解だと僕は思う。
 
なんで失神してただけのお前がそんな偉そうなことを言ってるんだって? 別にいいじゃん。イーサンやクランシーと仲良くしてると、そんなことを思うんだよ。いちいちうるさいなあ君は……。
 ごめん。ほんとにごめん。謝るから僕が失神しまくったことは言いふらさないでくれ。これあげるから。ほら『ゾンビ』のディレクターズカット版。友達にでも布教しといてくれ。
 さっきの話と全然関係なくて申し訳ないんだけど、できればこの映画のこと、忘れないで欲しい。僕がいなくなっても、その中に僕は居るから。

もう時間だ。そろそろ行かないと。
それじゃあ、さようなら。またどこかで会おう。
了



 
 
 

 




 

 
 
 





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