メリーさんのバッドエンド

登校中

 太陽をただ眺める。
この時間が僕にとって至福の時だった。
眺め続けていると、いつもいつまでも僕たちを照らしてくれる太陽の偉大さをより感じ、ますます目が離せなくなる。その繰り返しだ。
「ふふふ。本当に、あなたは太陽が好きね」
 僕の隣に座る彼女が柔らかく笑う。下の方でゆるく結ばれた金髪が、彼女の動きに合わせてふわふわと揺れた。
「それじゃあ、ここはあなたにとって最高の場所なのね」
「もちろん。なんたって、地球上で最も太陽に近いんだから」
 そう彼女に返事をし、立ち上がる。それにつられるように僕の背中で、白い翼がふわりと広がった。
 ここは天界。バベルの塔のようにそびえたつビルよりも、自身のちっぽけさを再認識させるほど巨大な山脈よりも高い、天の者のみが許される場所。そして僕たちはその世界の住人、天使だった。
 その天界の端の端、ちょうど太陽の真下に位置するこの場所は僕のお気に入りの場所であり、時間を見つけるとよくここへ来ていた。
「――あいかわらず、あなたの翼は白くて綺麗ね」
 座ったままの彼女は僕を、僕の翼を見上げるようにして呟いた。
天使の翼は、天使個々によって色や形、大きさに差異が存在し、明るい白、優しい白など様々な形容をすることができた。その中でも僕の翼は、自分で言うのは少し恥ずかしいが、他の色も表現も入り込む余地のない、まごうことなき白い翼だった。
「不思議ね。とっても白いことを純白、っていうけれど、あなたのはその『純』の文字すら拒絶する白さ。本当、美しい」
 羨ましそうに、ほんの少し切なそうに、彼女は僕の翼の端をそっとなでる。彼女の背中に生えた翼が、きゅっと少し縮こまった。
 彼女の翼は黒かった。と言っても、色は他の天使と同じように白色の翼である。ただ、『黒い』という白とは相反する表現が、彼女の白色を最も表している言葉だった。
「僕は、太陽の光で輝いている瞬間の君の翼が一番美しいと思うよ」
「あら、また太陽の話なの? ふふ、まったく」
 でも、ありがとう。
 少し悲しそうな表情を残しながらも、彼女は微笑んだ。
 実を言うと、僕と彼女は互いのことはよく知らなかった。彼女も僕と同じく太陽を好むため、ここで時々顔を合わす。そして少し言葉を交わす。そんな程度だった。
 ただ、今までの会話と雰囲気から、彼女は自分の翼をあまり好きではないらしかった。
「それにしても、そんなにも綺麗な翼で太陽に恋焦がれてるなんて、まるでイカロスみたい」
「ああ、そんな話が人間にあったね」
 太陽に憧れ、太陽に近づき過ぎたために、その命を落とした勇者イカロス。他の天使にも幾度か例えられ、大好きな太陽に自分の命まで捧げるなよ、と軽口をたたかれたことがあった。
「大丈夫だよ。僕の翼は?で固めたものじゃない、ちゃんと本物の翼だから」
 おどけたような返答を彼女に送り、軽く宙に翔んでみせた。ばさりと自分の翼が風を受けるのを感じた。
「ふふ。そう言えばそうだった。それなら安心かも」
 彼女もその場で立ち上がり、たんっと天を蹴って宙に翔んだ。風は彼女の髪の毛をふわりと優しく広げさせ、日差しは翼をきらきらと、更に美しく綺麗なものへと魅せていた。
 彼女の翼には他の翼にはない惹かれる魅力があった。彼女はきっとお世辞だと思っているだろうが、僕は彼女の翼が好きだった。



「あ、ちょうどいいタイミング」
 とある日、空きの時間を持った僕がいつものようにお気に入りの場所へ行くと、先に居た彼女が僕を見つけて声をかけた。
彼女は天界から数メートルの高さで翔んだまま、下を覗いていた。先述した通り、ここは天界の端の端なため、空との境目から僕ら以外の住む地上を見下ろすことができる。僕は彼女の下付近へ行き、天界の切れ間から地上へと目を向けた。
地上は、どこか詳しくは分からないが、超高層ビルの建ち並ぶ都会などではなく、緑の多い自然豊かな景色だった。その自然の中にいくつかの集落が、ぽつぽつとできていた。
「今、あそこで人間が一人誕生したみたいなの」
 彼女がとある山中の小さな集落を指差す。
 僕は目を閉じ、耳に神経を集中させる。確かに、彼女の指し示した方向から女の子の赤ん坊の泣き声が聴こえた。おそらく、その集落の少し外れたところに建つ家のようだ。
「私が観ていた人間の子よ」
 筋書き通り、と静かに彼女の唇が動いた。


 すべての人間には、それぞれシナリオが用意されている。もちろん人間たちはそのことを知らないが、彼らは皆筋書きに沿って個々のシナリオを歩んでいき、やがては死亡という終焉であり終演にたどり着く。
 そこで、天使の使命。
 人間を観る。以上。
 人間たちの人生が、きちんとシナリオの築いた道をなぞっているかどうか、彼らと台本をそれぞれ見比べて確認する。ただそれだけ。
 天使は天から人間たちの演じる舞台を鑑賞しているに過ぎなかった。


「あそこの集落は、私が担当しているの」
 そう言って彼女は、自身の両手にぱっと三冊の本を出現させる。三冊とも白色の表紙だったが、天使の翼とは異なり、せいぜい使い込まれているかどうかくらいの差しかつかない色形大きさすべて同じものだった。
「右があの家の夫、左がその妻の物語」
 うち、少し薄汚れた二つの本を両手に持って僕に見せる。
「それで、こっちが」
 言いながら、残りの一冊を自分より少し下にいる僕に向かってふわりと落下させる。僕は急のことながらも慌ててその本を受け止めた。
「ナイスキャッチ」
 少しいたずらめいた笑みを浮かべて、僕を見下ろす彼女。なんだか余裕そうな彼女に少しだけ悔しく感じた。
「人生が書かれている大事な台本を落とすなんて」
「ごめんなさい。その本が、今誕生した子の分よ」
 自分の手元にある落とされた台本に目をやる。真新しいそれは、まるで体温を持っているかのように温かく、そしてどくどくと小さく、しかし確かに規則的に鼓動を打っていた。
「名前はメリー。彼女の両親が前から決めてたの」
 そう言って彼女は、メリー、メリーと何度かその名前を口ずさんだ。そんな彼女を可愛らしいと感じながら、僕はメリーと名付けられた赤ん坊の台本をめくった。

『○年△月×日 ○時2分×秒 誕生
   7分×秒 死亡』

 そこには一ページ、たった二行だけしか記載されていなかった。
「え……?」
 僕がそのページを理解しようとする前に、地上からゴゴゴゴという大きな低い響きがした。鳥や小動物、花や木々が一気にざわめくのが一斉に耳に入ってきた。
 その音は、山が崩れる音だった。
 僕が理解している最中に、その山崩れはその集落の方めがけ猛スピードで流れていった。メリー一家の家も含め集落全体はあっという間に飲み込まれ、跡形もなくなってしまった。
「……あ」
 そして、僕が理解したときには、僕の手の上で開かれたままの台本はもう温かさを失い、鼓動も打つことを止めていた。
 ショックでただ茫然と冷たい目の前の台本を見つめていると、表紙が端の方からみるみる黒色に浸食されていった。それはその本が見事『大団円』を迎えたという証だった。
「筋書き通りね」
 彼女を見上げると、同様に黒く染まった両親の本を胸に抱えていた。
「終幕」
 そう呟き、腕の中の二冊をさらにぎゅっと抱きしめる。その途端。
 ――ばさばさばさ
 彼女の広がった服の裾から、死んだ本が大量にこぼれ落ちた。ばさばさ、ばさばさと。黒い塊がまるで先ほどの山崩れの続きのように、様々なシーンをはためかせ、落下してきた。
 彼女は無事、あの集落の一生を観届けたのだ。
 僕は、今度は降り注ぐ本の一冊も受け止めることができなかった。その場で立ち尽くし、こんなにもあの小さな集落には人間がいたのかとただただ眺めていた。
 降ってきた二冊の屍が、僕の持っていた屍に当たり、ともに僕の足元へと沈んだ。それは、彼女の腕から抜け落ちていった二冊だった。
「さよなら。メリー」
 最後に落ちてきたのは、彼女の涙だった。



 天使として人間の生涯を観てきて、数百年。
 大抵の人間が平凡な人生ではあったが、中には不幸や悲劇に満ち溢れている人生も少なからず存在した。そんな舞台に出くわしては、胸が締め付けられるように辛く感じたりした。
 それでも、僕たち天使は観続けていた。ただ、その台本通りにシナリオが進んでいくのを傍観していた。
 変わることのない、僕たちの使命なのだから。



 彼女の涙を見たその日から、あまり彼女を例の場所で見かけなくなった。偶然会ったときも彼女はどこか話しかけづらい雰囲気を漂わせていて、ろくに会話もできないうちにふらりと別のところへ行ってしまうようになった。
 何か彼女は抱え込んでいるのだろうか。それとも、ただ単に忙しいだけなのだろうか。心配だったが、名前も知らない、その場所以外では会ったこともない関係であることに今更気づき、どうしようもないことを悟った。
 何もできない僕は、ただ彼女を待った。
 早く、この場所で前までのようにふたり仲良く、太陽に照らされて他愛もないことを喋りたい。
 そう願いながら、僕はその場所に通い続けた。



 それでもなかなか彼女と会えないまま。
 いつものように使命という名の演劇鑑賞を行いに地上へと降りていた。
「今日は、と」
 担当の人間の台本を出し、しおりの挟まっているページをさっと開ける。その人がどこまでストーリーを上演してきたかが一目で分かる。
対象の少し上空を漂いながら、彼と何てことない日常のシナリオとを見比べる。彼は寸分も違うことなく自身の役を、着々とこなしていった。
仕事を早く切り終えた彼は、町の中心部に位置する駅で待っている妻子のところへ向かっていた。合流した後は、電車で隣町の遊園地に行き一家団欒、といったシナリオだ。愛する妻子の顔を思い浮かべ、人混みの中を少し早歩きで進み続ける。
僕は空に目を向けた。今日の太陽は、分厚い雲に覆われていて地上は少し湿った空気をしていた。早く晴れの天気になればいいのに、と思いながら彼に視線を戻した。
そのとき。
 どんっ
 彼が前から歩いてきた人と、真正面からぶつかった。それに伴い、彼の足がぴたりと止まった。
「ん? こんなシーン……」
 人とぶつかるなんて記載があっただろうかと、正面衝突した様子を観た僕は、彼の台本に目を落とす――が、どうもそのような文章は見当たらなかった。
まあ、取るに足らないことだと省かれたのかもしれない。そう思い直し、彼に再び目をやると。
 早足で人混みをかいくぐる彼の姿はそこにはなく、ただ地面に大量の血液をばらまかせ道端に倒れていた。その彼の背中からは、血を浴びた銀色の刃物の先端が飛び出していた。上空の視点では、彼とぶつかった相手がすでに遠くの方へ走り去っていったのがよく見えた。
「きゃあああああああああ」
 甲高い悲鳴を合図にどよめき、ざわめきが血だらけの彼の周囲から徐々に広がっていった。
「……なんで」
 上演中の舞台に何の前触れもなく幕が下りてきて、お話がぶつ切りのまま強制終了される。そんな感じだった。
 そこで気づいた。手に持つ彼の本が黒く冷えていき、鼓動が弱々しくなっていることに。
 僕は、急いで現在進行中のページを開いた。
「何、これ……」
 すでに彼が演じた行動は、何も変化はなかった。しかし、彼が誰かに刺されて演じられなくなった以降のシナリオすべての文章が、赤い二重線により消されていた。
 見たことのない台本に戸惑いつつも、乱雑にページをめくり、二重線がひかれ続けているのを確認し続ける。そして最後のページ。

『×年○月△日 △時×分○秒
      通り魔に刺され、死亡』

 線と同じ色の赤文字で、目の前のシナリオが新しく書き足されていた。



 気圧の変化も向かい風の強さも感じる暇のないくらい、一心不乱に僕はある場所へと翔んでいた。
目指すは天界最高位者、僕たち天使に台本と使命を与える方の下。
天界の中心、ひと際大きくひと際美しい宮殿の門を全速力でくぐり抜け、更に奥の奥へと翔ぶ。ぶつかる間一髪のところで避けた天使たちが、左右に次々と高速で流されていった。
「失礼します! か――」
「分かっている」
 扉に体当たりするような勢いで入室してきた僕に対して、部屋の中の方は優雅にかつ力強い口調で僕の言動を制した。
「シナリオが変化した、だろう? ここ最近、類似した情報を持った天使たちが幾度もやって来る」
 天界の最高権力保持者、神。
扉の真正面上にある装飾の豪華な椅子に深く腰掛けるその方に無表情に見つめられると、足が床に縫い付けられたかのように僕はもうその場から一歩も動けなかった。
「今までに、このような、こと、が……?」
「一度たりともなかった」
 圧倒されながらも途切れ途切れに問う僕に、神は短い言葉を投げつける。前代未聞の事態という割には、神に今の状況とはあまりそぐわない落ち着きと冷静さが見受けられた。まるで、僕たち天使が人間たちのシナリオを観ているときのような、このことを予知していたとでも言いそうな雰囲気だった。
「原因が何かは把握している」
 そう言い、神は右手をゆっくり前に出して力を込めた。しゅううと光が掌付近に収束していく。やがて光の束は細長い形へと変わっていった。
「ちょうどいい。お前」
 その光の塊を僕の方へ無造作に投げる。驚きつつもその塊に僕の手が触れると、ぱあんと強い光がはじけ飛び、中から現れたのは。
「剣……?」
 神の眼が、剣を抱えて戸惑う僕だけを鋭く映し出す。
「お前の友の仕業だ。殺せ」



 物語をめくり、これから起こるであろうことを知る。
 目の前の女性は、受話器を片耳にあてどこかの誰かとお喋りに夢中だった。彼女の下には、台所から聴こえる鍋の噴きこぼれる音が届いていないらしかった。
 そっと彼女の傍へ降り立ち、空いているもう片方の耳元でささやく。
「それでね――って、あら?」
 楽しそうに向こう側の人間と話をしていた彼女がぴたりと話すのを止める。そしてコードにつながれた受話器を置き、不思議そうな表情で台所の方へ向かう。
 物音がしてから再び彼女が現れ、受話器を耳にあてなおす。心なしか、先ほどよりも少し恐怖した顔つきにみえた。
「ごめんなさいね。私ったらお鍋火にかけっぱなしだったの忘れてたみたいで。もし、あとちょっとでも気づくのが遅かったらと思うと――」
 通話が再開される。それ観つつ彼女の物語に新しいシーンが赤文字で追加されたのを確認する。それは、彼女が今後も生き続けるストーリーであった。
 とんっと軽く宙を蹴り、上空へと翔ぶ。しかし、すぐに上昇をやめる。そこで待っていたのは。
「……やあ」
 とても苦しそうな表情で絞り出すように声を発する彼。腰にまばゆい光を放つ剣が刺さっているのを見て、私は終わりを察した。
「ふふ、あの場所以外で会うのは初めてね」
 以前彼とよく会っていたときのように、微笑みながら言葉を返す。それが聞こえているのか否か、しばらく無言が続いた後。
「話があるんだ……メリー」
初めて彼に名前を呼ばれた。そもそも、友達のいない私にとって自分の名前を聞くことは久しかった。
「私の名前、知ってるんだ。誰かから聞いたのかしら」
罪人の名として。そう心の中で付け足す。少し暗い気持ちになってしまった。
「なら、場所を変えましょ。私たちにはあの場所が似合うもの」
 彼は静かに頷いた。



「ああやって、死が間近に迫っている人間に危険を知らせる。それだけでストーリーが簡単に変わっちゃうなんて、なんだか不思議な感覚よね」
 翔びながら彼に語りかける。私の少し後ろを翔んでついてきているはずだが、彼からの返答は特に聞こえない。
「どうにも慣れそうにないの。目の前で人間が死ぬと分かっていて、ただそれが完遂されるのを観ていることが」
 反応のない彼をおいて、一人で喋り続ける。まるで追い込まれた犯人の独白みたいだなと感じる。いや、言い訳に近いのかもしれない。
「どうせいつかは皆死んじゃうのに、一時しのぎに目の前の死から助けて。結果、一人の物語を無理やり長引かせて、たくさんの物語を打ち切りにしちゃった」
 自身の使命も忘れ、目先のものに囚われ、天界と地上の両方の秩序を乱した。
 黒い翼を持つ反逆者。それは、きっと天使という言葉からは正反対の存在なのだろう。
 物語は、一人では成り立たない。
 家族や友達はもちろん、見知らぬ人々との関わりによって、個々の物語は形成されていく。またその彼らも、誰かしらの影響化の下成り立っている。無数の他人同士で繋がっているのだ。
 つまりは、どこかで死ぬはずだった一人を生かすストーリーにすることで、数えきれないくらいの誰かたちのストーリーが変化するということ。それは幸福になることもあれば、逆に死を早める作用にもなる可能性がある。
 こんな単純なことに気が回らないなんて、本当に馬鹿だ。
「……着いたね」
 私がだらだらと一人言い訳をしているうちに、私たちはいつもの場所に到着した。
 太陽に最も近い場所。相変わらず閑散として、私たち以外の影は見当たらなかった。
人間のストーリーに手を加え始めてから、ここへはあまり足を運ばなくなっていた。なんとなく、自分の罪が白日の下に晒されるようで気がひけていたのだ。
 後ろの彼を振り向く。彼はびくっとして、腰に携えた剣に手をやった。繊細な彼にはあまり似合わないごつく大きな造りのそれは、何やら強い光とエネルギーを蓄えているように見えた。きっと、罪人を処分するために賜ったのだろう。
そう、そのままでいて。君だけは、自分の与えられた使命を忘れてしまわないように、その気高き刃物に触れていて。


太陽みたいになりたかった。
太陽は、どんなものにもあたたかく美しく平等に光を注いでくれる。人間にも天使にも、善人にも悪人にも。いつだって優しく柔らかく包み込んでくれる。嬉しい時も悲しい時も、幸せな時もそうでない時も。
だからあなたに初めて会ったとき、太陽みたいだと思った。
ここ以外で会ったことはないし、特にお互いのプライベートなことを話すわけでもない。まだ私は、あなたの名前すら知らない。それでも、あなたから溢れるあたたかさや優しさは、太陽と同じだと感じた。
あなたみたいになりたかった。
 でも、私にはできなかった。
 一緒に観た、山崩れを思い出す。メリーが死んだあの日の山崩れ。
 あなたは正しかった。どんなに辛い思いをしても、秩序を乱すことなく遂行していた。自身の使命に忠誠を誓う誇り高き正しさの、白。
 私は逃げた。目の前の事象のみを考え、その場しのぎの行動をしてしまった。掟を破り混乱の果てにすべてを沈めた無価値の、黒。
 黒が白に為りえるはずがなかった。

だからせめて。
太陽に殺されたい。



 太陽みたいになりたかった。
 太陽は、ずっと一人で輝いている。誰にも照らされることなく、たくさんの誰かを照らしている。その光によって、他の誰かや何かに強大なパワーを授けるため、ずっと力強く照らし続けている。
 だから君と初めて会ったとき、太陽みたいだと思った。
 君のことは今だってよく知らない。名前も、神から教えていただいたときに知った。それでも、君に満ちる芯の力強さは、太陽と同じだと感じた。
 君みたいになりたかった。
 でも、僕にはできなかった。
 一緒に観た、集落全体が巻き込まれた山崩れ。君が死んだ本を抱え、泣いていたあの日の山崩れ。
 君は迷わなかった。自分を顧みず、ただ目の前のもののために全神経を注いでいた。すべてを一人で背負う力強い証である自己犠牲の、黒。
 僕は逃げた。恐怖に押しつぶされ、使命だと言い訳することで現実から目を背けてしまった。すべての事柄を拒絶し汚れを嫌った敗者の、白。
 白が黒に為りえるはずがなかった。
 だからせめて。



「殺して」
 そう彼女は端的に述べた。
「あなたがなぜこんな使命を受け持っているのかは分からないけど、殺されるならあなたがいいの」
 いつもみたいな柔らかい笑顔と、日なたのように優しい声色で告げる彼女。その中には、彼女の強い意志が見て取れた。
「……っ」
 剣の柄を握る右手が震え、カタカタと金属音を鳴らす。
ただただ怖かった。彼女を殺すことも、与えられた使命を果たさないことも。ここまできて、自分の気持ちが見出せないでいた。僕の中身が空っぽであることを嫌でも実感させられていた。
 意気地のない僕の様子を見て、彼女はしょうがないなという目で優しく微笑んだ。そして。
 ばさっ
 一気に大きく自身の翼を広げ、鋭く言う。
「裏切り者の黒い天使を、殺せ」
 太陽を背にして広げてみせる彼女の翼は、逆光を受け漆黒に見えた。それはガラスのように美しく、けれども他人には絶対に砕かれることのない彼女の強さを表しているようだった。
 綺麗だと見惚れた。ぱんと広げた彼女の翼は今まで見たことある中で、一番大きく美しかった。いつも翼の色を気にして自分の背中の影に小さく隠していた彼女自身は、その自身の大きさに気付いているのだろうか。
強風を受けたわけでもないのに、突如彼女の羽根が数枚僕の方へ散った。うち一枚を左手につかむ。しなやかに光を受け、白くそれでも黒く美しく輝いていた。
 天使らしいとは何なのだろう。
人間たちが想像する天使は一般に、優しく自分たち人間に助言を与えてくれるというものだ。そして実際の天使とは、窮地にも何もせず傍観しているだけ。では果たして、僕たちと彼女と、どちらが天使らしいのだろうか。
 分からない。僕には正解が分からなかった。
 ――カチャリ
 震えの止まった右手で静かに剣を引き抜く。露わになった刃は、強い光とともに赤い炎を纏っていた。
 分からないなら、考えるのを止める。
 そして彼女は、僕に殺されるのを願っている。
 ならば、殺す。それが、僕の出した結論だった。
 覚悟を決め、炎の切っ先を目の前の彼女に向ける。彼女は僕の目を見て、満足そうな顔で頷いた。
 傍観者な天使の僕は、剣など振ったことがない。重く立派な剣は、僕の貧弱な右腕で振るうには不釣り合いだった。それでも彼女のために、いや、使命を果たすという僕のために、左腕も添えゆっくりと振り上げた。
 彼女も僕と剣を身動きせず、じっと見つめる。
 僕の剣が僕の真上にきたとき、彼女は静かに目を閉じた。さよなら、と彼女の唇が紡ぐのが見えた。
両手で柄にぐっと力をこめる。そして一気に振り下ろした。


 ……。
 ……。
 ……?


 自身になかなか振り下ろされないことを不思議に思い、目をおそるおそる開ける彼女。そこには、僕と彼女のちょうど真ん中の位置の地面に突き刺さった剣があった。
「な――」
 ごおうっ
 驚いた顔で彼女が何か言いかけていたが、剣として形を保っていた炎が急に力を拡散させ、僕たち二人を飲み込む火柱を創り出す方が先だった。
「〜〜〜〜っっ!!」
 僕か彼女か、または両者ともか、激しい業火に身を焼かれる苦痛から声にならない悲鳴をあげた。
 熱い。痛い。苦しい。熱。痛。苦。あああああああああああああああああああああああああああ。
 のたうち回ってしまいそうな刺激に抗い、僕は最期の力で同じく半狂乱しそうになっている彼女を抱き寄せた。
「……!」
 もう声も発せないのかもしれないが、抱きしめる彼女の感覚から彼女の困惑と悲哀を感じた。僕がなぜ、一緒に燃えているのか、自分が巻き込んでしまったんじゃないかと自分を責めているのがよく伝わってきた。
 ちがう、そんなんじゃないんだ。
 僕は焼け焦げたぼろぼろの手で、彼女の頭をそっと撫でた。
「さよならじゃ……ない……よ」

 君が僕に殺されたいように、僕も願っているんだ。
 君みたいになれないのなら、せめて。
 太陽みたいになれないのなら、せめて。
 太陽とともに死にたい。

 僕に撫でられた彼女が何を思ったのかは、僕には分からない。聡明な彼女なら、僕の気持ちを察せたのかもしれない。先ほどの困惑や悲哀の感情を消し去り、静かな心で僕の背中に手をそっと回してきた。
 その瞬間、激しい業火に耐え切れなくなった天が崩れた。僕たちは炎を纏うひとつの塊として地上へと落ちていった。
落ちていく勢いで、僕たちふたりの羽根が舞い散る。その色は白でも黒でもなく、業火に焼き尽くされた印である灰色のすすのようであった。彼女の翼を見ると、燃え尽きて炭になり果てていた。きっと、僕の翼も同じ状態なのだろう。
 自然と僕から笑みがこぼれる。よかった。最期に君と同じ色になれて、本当によかった。
「おやすみ」
 そう彼女の耳元でささやき、安らかな気持ちで目を閉じた。



 二人の天使が消滅したその日、神の書斎の本が二冊黒色に変わった。
 それを見て、神は言う。
「筋書き通り」

 

   


 





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