毒
随二

毒をもらった。
もらったと言っても、実際に毒を盛られたわけではない。
毒と書かれた小さな包みをもらったのだ。
大阪のおばちゃんが見知らぬ人にアメちゃんをあげるように、見知らぬ人にこれあげると言って渡された。突然のことで呆然とし、返そうと思ってその包みから顔を上げた時にはもうその人はいなくなっていた。どうすることもできずに、訳がわからないまま自宅に持ち帰ってしまった。

さて、いったいどうしたものか……。
そもそもこれは本当に毒なのか? 紙に包まれていていかにもといった見た目だが。
少し、開けてみようか。どんなものが入っているのか、まずは見て確かめねばなるまい。机に置いた包みを開こうと手を伸ばし、考えた。待てよ、もし本当に毒だったら? 手についたら? 吸い込んでしまったら? 目に入ったら?
このままではまずい。手袋にマスク、それとゴーグルもいるな。あとは何が必要だ? 家の中をぐるぐる歩き回る。こういうのを取り扱っている人ってどんな格好をしているのだろう。白衣か? 白衣なんて持っていないぞ。代わりになるものを身につけるべきか?
数分後。安物のレインコート、安物のゴム手袋、安物の使い捨てマスク、物置の奥の方から引っ張り出してきた水泳用ゴーグルを身につけ、万全の態勢で例のものと向き合った。そっと包みに手をかける。勢いで中のものをこぼさないように、慎重に開いていく。中のものが見えてきた。
白い粉。
見たところで、これが何かわかるはずもなかった。

少し冷静になった。見てわからないのは見る前からわかっていたことだ。わかっていたはずなのだ。中身が粉状のものであることは、触った感じからなんとなく気づいていた。
はあ。何気なくため息をつくと、包み紙が動いた。心臓が止まりそうになる。じっくりと机の上を見渡したが、幸い粉は飛んでいないようだ。ほっと息をつきそうになって、慌てて止めた。先に包みを戻すべきだな。ついでに身につけていた余計なものを脱ぎ捨て、椅子に腰掛けた。
そうだ。冷静に考えよう。これが毒かどうかはいったん置いておこう。それよりも、これをどうするかだ。本当に毒なのかわからない以上、下手なことはしない方がいいだろう。けど、ずっと持っておくわけにもいかない。なんとか処分したいが……。
普通の燃えるゴミに混ぜて捨ててしまうか。いや発火でもしたら困るな。水で流す……のも何か問題が起こるかもしれない。外にばらまく。一番やっちゃいけないことだろうな。じゃあ、包んだまま埋める。土壌がどうとかいう問題になりかねないか。ならほかには……。
だめだ。埒が明かない。これが毒かどうかわからない限りはどうしようもない。じゃあどうやって確かめる? 人に飲ませる? いやいやだめだろう。万が一本物だったら取り返しがつかない。なら、野良の動物に与えてみるか。いや、それも心苦しいな。だったら、いっそ自分で……。毒(仮)の方を見ながら、自分でそれを口にする様を想像してしまった。
ちょっと待て。落ち着け。冷静になれと言っただろう。だいたい何かわからないものを飲むだの飲ませるだのいう発想がおかしいだろう。何か、飲む以外の方法は……。
そうだ。鑑定とかすれば確実じゃないか。どうしてこんなこと最初に思い浮かばなかったんだろう。で、どこに持って行けばいいんだ? 専門機関みたいなのがあるのだろうか。けど、コネも何もないし。じゃあどうする。
不意に、パトカーのサイレン音が耳に入ってきた。そうだ。警察に行けばいいんじゃないか。不審な人物から渡されたって言って届ければいいじゃないか。なんだ、簡単なことだったじゃないか。早速出かける用意をしよう。椅子から立ち上がり、コートをひっつかみ、財布と携帯電話をポケットに突っ込む。最後に毒(仮)の包みを手に取り、考え直した。これ、中身は白い粉だったよな。白い粉って、薬物の可能性もあるよな。薬物って、持っているというだけで捕まるんだよな。警察に持って行ったら、そのまま逮捕、なんてことは……ない、よな。ないと信じたい。そもそも薬物と決まったわけでもないし。
そういえば、毒物劇物の類いを取り扱うには資格が必要だったような気がするな。もし、そういう資格もないのに持っていたりしたらどうなるのだろうか。なんか、だめなような気がする。どちらにせよ逮捕コースなのか? いや、見知らぬ人から渡されたと言えば大丈夫だろう。まさかこんな言い分は通らないとは言われまい。……いや聞いてはもらえるだろうが、はっきりするまで拘留されたりするかもしれない。それは困る。
やはり自分で処理するしかないのか――。


さっきから考えが堂々巡りしている気がする。警察に行くのが一番いいのだろうが、逮捕される可能性を考えるとなかなか行こうという気がしない。かといって、自分で処理するいい方法も思いつかない。だめだ、これでは何も解決しない。それに、疲れた。少し横になろう。
ベッドの上でぼんやりしながら、今日の経緯を思い出していた。そもそもだ。あいつがこんなものを押しつけてきたから、こんなに悩まなければならなくなったんじゃないか。返そうにもどこの誰だかもわからないんじゃどうしようもないし。あいつ自身に毒味してもらいたいくらいだよ。まったく、ただのいたずらにしてもたちが悪い。
ただの、いたずら。はっとして、ベッドから起き上がった。そうか。目的から考えれば本物の毒かどうかははっきりするんじゃないか。あいつのことは何も知らないけど。いや、だからこそわかることもあるかもしれない。
そうだな、まずはいたずらの線で考えてみるか。毒なんてわざとらしく書いてあるあたり、その線が一番濃厚だよな。そう考えると、中身は毒じゃない可能性が高くなるか。ただ、困らせたかったとか。見知らぬ人を? 困っている姿を想像して楽しむってことか? もしそうだとしたら相当趣味が悪いな。それともどこからか見ているのか? 念のため窓から外を見てみたが、誰もいない。盗聴器か小型カメラがないか家の中を見回してみても、何も見つからなかった。まあ最近ではぱっと見ではわからないものがほとんどなんだろうが。それよりもただのいたずらでそこまではしないだろう。
あるいは、もし、自分が気づかないうちに誰かの恨みを買っていて、その恨みからこんなものを渡してきたのだとしたら。中身は毒だろうか。嫌がらせなら毒じゃない可能性もある。殺したいほど恨んでいるなら、こんな回りくどいことはしないだろう。第一恨まれる覚えはないのだが。あるとすればちょっとした逆恨みか。それにしてもやり方が遠回しというか何というか。確かに不気味ではあるが。
もう一つの可能性。無差別殺人。……いや自分で殺すつもりなら食べ物や飲み物に混入するよな。となると、無差別殺人幇助とか、自殺幇助とか。それこそ何が目的なんだと言いたくなるな。何か事件が起こるのを待っている、とか? 悪趣味というか、何かをこじらせたような感じだな。しかしそんなものに巻き込まれるのはごめんだ。
そういえば、この毒の包みをもらったのは自分のほかにもいるのだろうか。もしいたずらだったり無差別殺人みたいなものだったりしたら、ほかにもこれを渡された人がいるはずだよな。その人たちはどうしているんだろう。気にはなる、がそれこそ知りようのないことだよな。ニュースでもやっていればいいんだが。そう思ってテレビをつけてみたが、やはりこのことに関しては何も報道されていなかった。


大きくため息をついた。結局、考えたって何もわからないじゃないか。これが何なのか、あいつは誰で何のためにこれを渡してきたのか。手がかり一つない。これでは全部想像するしかない。想像したって根拠もない。想像は想像でしかないのだから。
一つ、これが何かを確認するために、今すぐできる方法がある。これを口にすることだ。もし本当に毒だったらそのまま死んでしまうだろう。しかし想像した結果毒でない可能性も十分にある。確信は全くないが。最後は直感だ。とはいえ、紙に包んであるすべてを飲んでしまうのはさすがに気が引けるので、ほんのひとつまみだけにしよう。よっぽどの猛毒でない限りひとつまみでは死にはしないだろう。というのは甘い考えだろうか。とにかくこれがはっきりしないことには気になって夜も眠れない。
再び紙の包みを開いた。いざ口にしようとすると、ただの白い粉が何か恐ろしいもののように見える。やはりやめた方がいいのだろうか。いや、もしかした塩とか砂糖とか、そんなものかもしれない。食べてみて甘かったら、さっきまで悩んでいたのは何だったのかと笑い飛ばせばいい。もしそうでなかったら……。そうだ、水を置いておこう。だめそうだったら、水ですぐにすすごう。それだ。
粉とコップ一杯の水を流し台のそばに置いた。向こうの方を向いて深呼吸をする。そして、向き直った。
粉をひとつまみする。感触はさらさらしている。震えるその手を口の方へ持って行く。心臓の鼓動が早くなる。呼吸も荒くなる。全身が震える。大丈夫。死にはしない。そう言い聞かせて、口に含んだ。

……? ……! 苦い!
胸が苦しい。吐き気がする。これはまずいのではないか。
水。コップを取ろうとして、倒してしまった。水が流れていく。水を。慌ててコップを拾って、蛇口をひねる。水。勢いよく口に含んだ。
ごふっ、がはっ、はっ、げほっげほっ……
肩を上下させながら、息を整えようとする。心臓がまだばくばくしている。生きている。やっぱり大丈夫だったんだ。飲んではいないはずだし。
途端に、冷や汗が出てきた。まずい。さっきむせたとき、ちょっと飲んでしまったかもしれない。血の気がひいていく。脚に力が入らない。視界がゆがむ。苦しい――。

膝から崩れ落ち、とうとう意識を失った。


 
『ただのいたずら?』
『毒と書かれた紙の包み 中には白い粉』

『面識のない人物から不審なものを手渡された、という交番への届け出により発覚しました』
『調べによると、同様の不審物を手渡された人は複数おり、目撃情報から同一犯によるものと思われます』

『――この粉末の主成分は炭酸水素ナトリウム、いわゆる重曹です。ご存じの通り食用にも使えますから、このくらいの量ならたとえ口にしたとしても人体に害はありません。ちなみに、水に溶けるとわずかにアルカリ性になるので、苦い味がします』

『いやー、ただのいたずらにしても、いったい何の目的でやったんでしょうね』
『そうですねー。やってることが子供っぽいというか、理解に苦しみますよ』

『次の話題で――』






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